2011年7月
伝説の男 vol.7 「山岸繁美」
世界からダイバーが押し寄せる、聖なるダイビングスポット‘グロット’。このポイントを発見し、世界に知らしめた人物が、実は日本人であることをご存じだろうか?山岸ファミリー3兄弟、通称・ヤマさん、アキさん、シゲさん。今回はサイパンをダイビングリゾートに育てた立役者のひとり、『MEI DIVE 1968』のオーナー・通称シゲさん。サイパン暦41年、現在68歳になる山岸繁美を紹介しよう。
彼がサイパンにやって来たのは1970年のこと。1968年にこの地で初めてダイビングショップを開業した兄・ヤマさんに誘われ移り住むことになる。日本はもちろんサイパンでも、趣味でダイビングする人などほとんどいなかったこの時代。今でこそ身近なポイントとして親しまれているラウラウ、ナフタンもサメがうようよと生息する、地元の人さえ泳ごうしない海だった。
ある日、ダイビングスポットの開拓に励むヤマさんがグアムからセスナに乗って帰って来る途中のこと。空から見つけたのが、ぽっかりと口を広げた天然プールの存在。グロットである。現在のように階段が整備されているはずもなく、ロープを使って降りていく過酷な秘境。そこに息をのむポイントが潜んでいた。 時のサイパンはジャングルしかない未開拓の島。必要なものはすべて自分たちで作るしかなかった。洋服やアクセサリーはもちろん、建物も、である。まだ戦争の激戦地としての残像が色濃く、観光目的で来るような場所ではない。当然ながらビジネスは順調にいくわけもなく、買うのはお米だけ。
おかずは釣りで調達する自給自足の生活が続いた。観光客が目立ちはじめたのは1974年頃から。日本の釣り番組でサイパンが紹介され、フィッシング目的の来島者が増えはじめたのがきっかけとか。その釣り人たちが、やがて体験ダイビングに参加するようになり、少しずつダイビングビジネスが広がっていったという。ダイビング本数は、かれこれ2万本を越えるというシゲさん。第一線で活躍するインストラクターやガイドが続々と彼のもとから巣立ち、日本人オーナーショップは今や50店を超えるまでになった。名実ともに世界屈指のダイビング王国となったサイパン。そのルーツといえる山岸ファミリーの屈強なフロンティアスピリットに、あらためて敬意を表したい。