2013年10・11月
伝説の男 vol.24 「Nelson Vidal」
仕事といえば三輪タクシーぐらいしかない、マニラからバスで3時間もかかる田舎町。1971年、6人兄弟の末っ子に生まれたネルソン(Nelson Vidal)は、その環境で甘やかされて育ち、毎日、ただ遊び呆けていた‘大バカ者’だった。サイパンに来たのは1992年。きっかけは、ダイビングショップで働いていた長男から「バカヤロー!仕事してないならサイパンに来い!ダイビングの仕事をやれ!」と呼び出されたからだ。
一度も経験のないダイビング。自分には向いていない。すぐに弱音を吐いた。「フィリピンに帰って何の仕事がある?幸せは努力してつかめ、バカヤロー!」。怒鳴られ、半強制的に働かされる毎日。ショップは1日に約80人の客が来る大型店。のんびりする暇はない。その中で努力を積み上げ、やがてインストラクターの資格まで取得し、日本人客を相手に猛烈に働いた。もちろん日本語は話せない。単語を紙に書いて引き出しにしまい、再びそれを見る。そんな独学で、いつしかカタカナ、漢字まで書けるまでに。
彼の努力家ぶりはプライベートも同様だ。レストランで働いている女性に一目惚れして、毎日のように通いつめ、口説いた。が、彼女には婚約者が…にもかかわらず、諦められなかった彼は5回以上もプロポーズ。しかし、一向に振り向いてもらえない。そこで作戦を変更。「考える時間をあげるから、真面目に僕のことを検討してみてほしい」。日参していたお店に2週間も顔を出さず、またひょいと行っては、2週間を空けた。これを繰り返し、ついに彼女を射とめ、1997年にめでたく結婚したのである。
ところがサイパンの景気は低迷。2011年、勤めていたショップは規模縮小を余儀なくされる。職を失った彼は家庭を支えるために日本に出稼ぎへ。就職先は電気店。エアコンの取り付けや修理の仕事をして、サイパンに住む家族へと仕送りを続けた。1年後、15歳の息子が手に負えない、と妻から連絡が入り、一時休暇の予定でサイパンへ。が、日本に戻れないままの日々が続く。このままでは…と悶々としていた時、ダイビングショップから声がかかった。海の仕事に戻らないか、と。
ちなみに諸兄姉は「バラフエダイ」を漢字で書けるだろうか?今やダイビングが天職と信じて疑わないこの男。彼は水中でその魚の名称を漢字で書く。好きな言葉は「バカと天才は紙一重」。大バカ者は今日もバカバカしい親父ギャグを連発しながら、サイパンの海を盛り上げている。