伝説の男

2013年8・9月

伝説の男 vol.23 「TOSHI」

 NMDOA(北マリアナダイビング事業協会)の現会長を務める山口仁・通称TOSHIは1968年、札幌で生まれた。幼少の頃から叩き込まれたスキーは強化選手に選ばれるほどの腕前だったが、当時の夢はパイロット。しかし、中学3年の時、左目に怪我を負い視力が低下。その夢は早々に断たれた。

 人生の分岐点は大学1年。豪州ケアンズに旅行した時に、ダイビング資格であるオープンウォーターを取得。ここで魂に火が着いた。以降、彼の興味は一直線に「海」へと走りはじめる。旅行から戻った後、ワーキングホリディで再びケアンズへUターン。一も二もなくダイビングショップに飛び込んだ。

 たった一人の日本人スタッフに与えられた仕事は、お客様のケアや体験ダイビング時の説明など。オープンウォーターの資格では、それ以上の仕事はできなかった。向上心の強い彼は、ならば!と猛勉強を開始。が、当時の試験はすべて英語。まずそこから克服しなければならない。10日間の取得コースでの合計睡眠時間は、わずか13時間。目標に向かって一直線に突き進んだ、その結果、インストラクター試験に合格。帰国後も大学に通いながらダイビングショップでアルバイトをはじめ、やがて店長業務を任されるまでに。卒業後も1年間働きつづけた。

 ある日、ダイビング団体・PADIからサイパンのダイビングショップ[MSC]の求人募集を紹介され、とりあえず1カ月間の研修へ。ここで素晴らしいマネージャーと出逢い、「この人のもとで働きたい!」とサイパン行きを決めた。今から20年前、1993年のことである。[MSC]はサイパンではトップクラスの老舗。その頃はアクアリゾートホテル内にあった人気のダイビングショップだ。景気悪化後の現在も、場所を移転し、彼を代表に根強く営業を続けている。

 NMDOAの会長に就いたのは5年前。サイパン、テニアン、ロタにおけるスキューバダイビングの安全協議と事故防止措置、環境安全対策、政府との情報交換、清掃活動…と多忙を極める毎日。例えば、グロットのロープやラウラウビーチのガイドラインも、実はこの団体がボランティアで取り付けているもの。一直線に走り続けてきたこの男の想いが、今、サイパンを訪れるダイバーたちを陰で支えている。

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