伝説の男

2013年4・5月

伝説の男 vol.22 「Marvin Msalamat」

 1977年、フィリピンに生まれたMarvin Msalamat(通称:アビィ)は、小学6年生の時、バーテンダーという存在をTVで知った。以来、その職業に憧れ、カクテルの作り方を学びはじめる。が、当時はTVと本で知識を身につけるだけ。実物のカクテルは作れなかった。

 高校1年生になり、地元リゾートでライフガードの仕事に就く。その初任給ではじめてBarへ。飲んだこともないカクテル。グラス一杯に隠されたストーリー。興味は深みにハマり、稼いだお金はすべて飲み代へ。1年が過ぎた頃、ふと気づいた。「最初からバーテンダーとして働けば良かったんだ。バカだなぁ、俺って…」。以降、4年間のBar勤務。作れるようになったカクテルは約200種類。でも、海外リゾートはもっと凄いのでは?と1997年、ツーリストとしてサイパンへ。そこで見たものは、まだ知らないカクテルのオンパレード。使用するお酒の種類も段違いに多い。向上心に火がついた彼は、そのままホテルにバーテンダーとして就職し、2年後、ミクロネシアでのバーテンダーコンテストで、いきなりの優勝。その後も4年間で3回、チャンピオンの座を勝ち取った。

 ところが、自信をつけた彼の欲望は別の方向へと走り出す。この仕事以外でも成功するのではないか? もっと稼げる道があるはすだ! 憧れだったはずの職業を捨て、タクシー会社、マニャガハ島、船の仕事…と転々とした4年間。結果は、すべて失敗に終わった。かといって、Barに戻るにもスキルも知識もとっくに錆びている。バカだなぁ、俺って…。これからどうやって生きていけばいいのか。いくら考えても、行きつく先はバーテンダー。なら、価値あるバーテンダーになるには…導き出した答えは、オリジナルカクテル。自らがその生みの親になることだった。

 幸運にも『Hard Rock CAFE』に就職が決まり、そこで次々とオリジナルカクテルを開発。才能にムチを打ち、カクテル50種類、ショット500種類を生み出した。中でも75度のラム酒とグリーンミントリキュールに火をつける‘R.I.P’は、ほとんどのBarのメニューに載るヒット作。こうして自信を取り戻した彼は、同時にコンテストにも再挑戦。見事、2回連続チャンピオンに輝いた。今、この男が追いかける夢は、新しいBarのオープン。何度も「バカだなぁ、俺って…」とぼやきながら、ようやく我が道が見えてきたらしい。

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