伝説の男

2012年8・9月

伝説の男 vol.18 「宮澤秀雄」

 1948年、横浜に生まれた宮澤秀雄(みやざわひでお)。居食屋『鳥秀えん』を営むこの男を何かに例えるなら‘世界を巡った回遊魚’。そんなイメージが、ふと浮かんだ。

 幼少期の遊び場は進駐軍の街・本牧。ごく自然に英語に触れていた彼は上智大学へと進学し、卒業後は「アメリカに行きたい」と横浜おかだやの外国部に就職した。待望の英語圏である香港支店に赴任したのは26歳の時。その7年後にはグアムへ転勤となり、かねてからの夢・アメリカ本土上陸に近づいた。そして、翌年、サンフランシスコ支店長に抜擢される。

 水を得た魚のごとく、海外勤務で能力を開花させた彼は、サンフランシスコの店舗を1店から3店へと拡大。私生活も充実し、結婚後、一男・一女の子宝にも恵まれた。そんな満たされた12年間を経て、1997年、サイパンへ。しかし、バブル崩壊以降、景気は一向に回復せず、2000年におかだやは閉店。帰国し本社勤務となるものの、国内での生活は性に合わず、約1年で退社することになる。

 サイパンへ帰ろう。そして、大好きな食の分野で、人に喜ばれる仕事をして生きよう。そう決意し、ガラパンで居酒屋『鳥秀』の開業準備を進めた。ところが、オープン目前の2001年9月11日、ニューヨークでテロ事件が起きる。観光客が減ってもお店は運営できるのか? すでに場所も人材も揃っている。ここで逃げてどうする? 悩んだ末に、覚悟を決めた。地元の人を相手に地道に営業していこう、と。  立ち上がりの3年間は、好きなゴルフもやめ、朝から晩まで懸命に働いた。お客様が求めているものを常に提供していくにはコミュニケーションが大切だ。そう考えて、死にもの狂いで頑張る日々。結果、知事をはじめとした政府関係者、現地アメリカ人、日本人など、たくさんの常連客がついた。しかし、苦労がようやく実りはじめた2004年、身体は癌に冒されていた。

 大切なものは、人と人の「縁」。辛い抗癌治療の末に日常生活を取り戻した彼が、大事にしている言葉のひとつだ。店名の『鳥秀えん』はそこに由来するもので、現在、ホリディリゾート1Fで元気に営業中。様々な苦難を越えて、たどり着いた回遊魚。くるくると‘えん’を描きながら、今、たくさんの人たちに幸せの波紋を広げている。ヒデさん、これからも頑張って。

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