伝説の男

2012年6・7月

伝説の男 vol.17 「劉志明」

 吉野円作(よしのえんさく)の仕事歴は、中学2年からの新聞配達からはじまった。高校時代はラーメン屋を中心に、魚屋、青果、工事現場、一日キャディー・・・と寝る間も惜しんで働いた。卒業後は中華料理店に情熱を注ぐ日々。ある日、競艇場に出かける。その彼の目に競艇  選手の募集ポスターが飛び込んできた。

 身長165センチ以下、18~27歳、体重55キロ以下。まさに、自分を指差しているではないか。即座に仕事を辞め、3ヶ月の自主トレを積む。応募総数6,000人から35人までに絞られる厳しい試験。まずは学科をクリアし、150人の中に残った。続く身体検査も難なくパス。体力には絶対的自信がある。これは間違いなくイケるぞ!そう思い込んで臨んだ3泊4日の身体能力テスト。しかし、結果は落選。最終身体能力試験まで進んだ者は、二度と試験を受けることはできない。競艇選手への夢はここで絶たれた。

 やっぱり俺には料理だ、と思い直して修行を積みながらも、つい足を踏み込んでしまったのがジェットスキー。ハマりにハマって琵琶湖で開催された大会にもレーサーとして出場する。そんな彼に、ニューカレドニアでレンタル会社の立ち上げを手伝ってくれないか、という声がかかった。23歳、初めての海外。絵葉書のように真っ白なビーチにどこまでも青い空。まさに天国に一番近い島だった。が、それも長くは続かない。帰国後、赤穂のリゾートホテルでマリンスポーツのインストラクターとして勤務し、24歳でサイパンへ。ジェットスキーのインストラクターとして4年間汗を流した後、独立を決意する。最初は日本人パートナーと一緒にギフトショップを。そして1994年、本来の夢であったレストラン〔E’sY Kitchen〕をオープンさせた。

 ‘美味しいBar飯’をコンセプトにしたお店は、瞬く間に人気店に。1996年には2号店もオープンし、イルカ専門のおみやげ屋、さらにはゲイバーまで手を拡げた。勢いづいた彼は日本にもレストランをつくろう、と一時帰国する。しかし、うまくはいかなかった。2年後、サイパンに戻ってみると・・・唯一残っていたレストランはシロアリに蝕まれ、もはや手がつけられない状態。再起を賭けて、移転・新装したのは2010年7月のこと。その店内にはダーツが2台。今はダーツにハマっているらしい。

 お気づきだろうか?「E’sYKitchen」のE’sYは、EnsakuYoshinoをもじったもの。様々な仕事を経て行き着いたこの男の城。そこには足早に駆け抜けてきた人生のエキスが、たんと凝縮されている。

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