今月の特集 Vol.28
コレ知ってた?北マリアナ諸島
その土地の歴史や文化を知らないで旅をするのと、いろいろと調べて巡るのでは、充実度は雲泥の差!
というわけで、北マリアナ諸島のあれこれ、この機会に学んじゃおう!!
北マリアナ諸島・サイパンデータ
面積:115.39㎡
標高:473m(タポチョ山頂上)
気候:熱帯海洋性気候
(乾季:11月~3月 雨季:4月~10月)
●2014年サイパンの祝祭日
1/1 元旦 New Year's Day
1/20 自治領記念日 Martin Luther King Jr. Day
2/17 大統領の日 President's Day
3/24 北マリアナ連邦憲法調印の日 Commonwealth Covenant Day
4/18 グッド・フライデー Good Friday
5/26 戦没者記念日 Memorial Day
7/4 独立記念日 Liberation Day
火山が隆起して生まれた14の島。
北マリアナ諸島はフィリピン海と太平洋の境界にある、北から南へと点々とならぶ島々。どの島も海底の火山が隆起して誕生した島で、大陸から分かれて島になったといわれる日本列島とは違い、島々に生息している動植物のほとんどは人間の手によって持ち込まれたもの。意外と知らない人が多いのですが、カブトムシやクワガタはもちろん、ヘビも、誰も持ち込まなかったおかげで、サイパンには生息していません。なので、ジャングルも不安なく散策することができちゃうわけです。
先住民族はチャモロ人と、その後にパラオやヤップなどのカロリン諸島から勇敢にも海を渡って移り住んできたカロリニア人。今は英語が公用語なのでコミュニケーションの問題はありませんが、先住民族とはいえそれぞれの民族語で話すと、お互いぜんぜん通じないそうです。
現在、14の島のうち人が住んでいるのは、サイパン島、テニアン島、ロタ島のみ。それ以外の島で唯一、飛行機(セスナチャーター)で渡れるのはパガン島。日本統治時代には約200人の日本人が居住し、飛行場や海軍基地、日本人街、学校もあった島で、ゼロ戦の残骸も見ることができます。
そのほかの島々は船をチャーターして行くしか方法がありませんが、映画『東京島』のモデルになった島もあります。サイパン島から数えて北へ2つ目の、アナタハン島がそこ。敗戦後、取り残された女1人vs男32人。6年間に渡る過酷な生活で、1人の女性を巡って12人の男たちが亡くなったという、通称「アナタハン島事件」が起きた場所です。この話を聞いて、誰も行きたくなるとは思えませんが、予め渡船の前に注意事項をひとつ。今も火山噴火が活発なので相当な覚悟が必要です! もちろん、無人島に行くには事前に国の許可が必要となりますので、悪しからず。
マリアナ諸島という名称の由来。
サイパンは熱帯海洋性気候で平均気温は27℃。年間を通して気温の変化がほとんどなく、1年中マリンスポーツが楽しめる、日本に一番近い常夏リゾートです。その気候はギネスブックにも認定されているほど。しかも、「マリアナ諸島」という優雅な名称も、これまたステキ!!さて、この呼び名の由来をご存じでしょうか?
マゼランがこの島々を発見したのは1521年のこと。その後、スペイン王フェリペ4世の王妃‘マリアナ’にちなんで、1667年にスペイン領「マリアナ島」として領有宣言したのが、そのはじまり。当時はグアム島までがスペイン領でした。ところが1898年、グアム島がスペインからアメリカに分割譲渡され、残る島々はドイツに売却されることに。1920年には第一次世界大戦によって、グアム島を除く北マリアナ諸島が日本の委任統治領となります。そして、サイパンは「彩帆島」と呼ばれ、約3万人の日本人が移住。ピーク時には在住日本人の数は10万人を超えていたといいます。
以降、サイパン、ロタ、テニアンはアジア最大の製糖産地として栄え、当時はビーチロードにも島を一周する鉄道が走っていました。当時を彷彿させる蒸気機関車がガラパン・ミドルロード沿いのシュガーキングパークに展示されているので、興味ある方は立ち寄ってみて。
第二次世界大戦後の1947年、北マリアナ諸島はアメリカの信託統治領となりました。2013年度の北マリアナ諸島の人口は51,170人。その半数以上がフィリピン人と中国人で、日本人は1,000人弱にまで減少しています。最近は忘れられがちですが、実は日本と深く関わってきた北マリアナ諸島。その中心が、このサイパン島。ぜひ、島内のあちこちに遺されている日本の痕跡を見つけてみてくださいね。
マニャガハ島も無人島のひとつ。
サイパンに来たら絶対一度は行っておきたいリゾートアイランド・マニャガハ島。ガラパンのビーチからスピードボートでわずか10分!のこの島は、昼間はたくさんの観光客で賑わっています。が、毎日17時になると潮が引いたように、観光客もスタッフもいなくなってしまう無人島。うっかり帰りのボートに乗り遅れないように気をつけて!
ところで、何とも発音しづらい‘マニャガハ’。実はこの言葉、カロリニア語で「ひと休み」という意味。1818年、カロリニアの酋長・アグルブがカロリニア人の一団を先導して来島し、この島でひと休みしたことに由来するとか。サイパンで初のカロリニア人の定住地となったこの島の中心には、アグルブ酋長のお墓もあります。その後ろに茂る大きなガジュマルの樹は精霊が宿るといわれるパワースポットのひとつ。背景にして写真を撮ると、一生神様が守ってくれるとも言われています。
また、この島は第二次世界大戦中は「軍艦島」と呼ばれ、日本軍によって建設された防衛線が、今も生々しく残る場所。当時の砲台や大砲、トーチカなどが散在しており、見どころのひとつにもなっています。近くの海底にはゼロ戦が沈んでいて、マリンスポーツショップのボートシュノーケリングツアーで見ることが可能。お散歩気分でぐるりと島を一周しても約15分。爽やかな潮風を感じながら、遠い過去の歴史に想いをはせるのもいいかも。
家の屋根は、なぜ平らなのか?
その答えは…北マリアナ諸島が広がる海洋は台風が頻繁に発生する地域。なので、日本のような切り妻型ではその風に耐え切れず、吹き飛ばされてしまう可能性が高い。だから屋根をできる限り低くするために平らにしている…という説があります。しかし、これは建設コストや技術力といった背景が大きそう。というのも、気候は今も昔も大きく変わっているわけではありません。ところが、日本統治時代、サイパンの町の建物は切り妻屋根が主流だったのです。
当時、南洋興発という製糖会社の社宅が立ち並んでいたチャランカノア周辺。ビーチロードから少し住宅地に入ったところに、その証拠は残っています。奇跡的に戦火を免れた切り妻屋根の日本家屋。木造の家が、ほぼ当時のままの姿で、その場所にひっそりと佇んでいます。また、周辺のエリアには切り妻屋根だったことを容易に想像させる廃墟が点在しています。おもしろいのは、戦後に建てられたであろう建物も、かなりの家が切り妻型の屋根を採用しているところ。あくまでも想像に過ぎませんが、日本統治時代の技術や文化が、今もこの一帯には受け継がれているのかもしれません。
すでに9回目!サイパンマラソン
もはや、この島の恒例イベントとなった‘サイパンマラソン’。第9回となる今年も、4月19日(土)に開催されることに! ちなみに昨年の大会を振り返ると…‘フルマラソン’には232名もの人たちがエントリーし、間寛平さんがプロデュースする‘50km寛平コース’には42名が出走。‘ハーフマラソン’‘10kmラン’を含めると参加者合計638名!
スタート地点はアメリカンメモリアルパーク。島の西海岸沿いに設定されたフルマラソンのコースは平坦な道とはいえ、最初の折り返し地点であるマリアナリゾート&スパ周辺に、やや登り坂が。50km寛平コースには、さらに片道約3kmの登り坂・通称‘アヘアヘ坂’がプラスされ、その変化あるコースをアスリートたちは苦しくも、大いに楽しんだ様子。
大会後の午後5時からは〔フィエスタ・リゾート&スパ〕前のビーチにたくさんの人たちが集まり、完走者パーティーに突入。ダンサーによる華やかなショー、表彰式に続いて、こちらも恒例の『よしもとお笑いライブin Saipan』で大盛り上がりの1日でした。
第9回、そして第10回と続けてほしいサイパン名物イベント‘サイパンマラソン’。初心者の人も多いので、次回は勇気を出して、ぜひ!
サイパン旅行は‘ESTA’が有利!
旅行前に、ぜひ申請しておきたいのが米国電子渡航認証システム‘ESTA’。北マリアナ諸島連邦は2009年から米国移民法が適用されていて、グアム~北マリアナ諸島連邦ビザ免除プログラム(Guam-CNMI VWP)が実施されています。もちろん日本はビザ免除プログラム参加国なので、日本国籍の人はパスポートの期限に問題さえなければ、45日以下の滞在は可能。しかし、ESTAを申請していると大きなメリットがあります。
まずは、機内で渡される入国カードの記入が必要なし。通関申告書だけでOKです。また、滞在期間も最大90日以下、と2倍に延長されます。しかも、サイパン国際空港の入国審査に、ESTA専用レーンが登場!一般のレーンと比べて段違いに並んでいる人が少なく、ササッと入国審査を通過できます。
特に最近は、中国、韓国からの飛行機が同時刻に到着するケースが多く、タイミングが悪ければ、入国審査は長蛇の列。ほんの少しの到着遅れで1時間待ち、なんてことも少なくありません。申請はインターネットで簡単にでき、審査結果もスピーディ!料金もわずか14ドルとリーズナブルです。これで2年間有効。アメリカ圏に旅行に行くことが多い人は、申請しておいて損はありません!