2011年11月
真夏の中村あゆみ Vol.11
1985年4月に発売された3rdシングル「翼の折れたエンジェル」が歌番組‘ザ・ベストテン’で10週連続チャートインを果たし、ロック界のスターダムを駆け上がった中村あゆみ。当時、19歳だった彼女は、以降、数々の大ヒットを飛ばし、その地位を不動のものにしていった。しかし、1990年代後半には結婚、出産…事実上、音楽活動を休止する。再びステージに立つことになったのは、離婚後の2004年のことだ。
「10年もこの世界から離れていて、この声がまだ通用するのか、シンガーとして自分の存在はまだそこにあるのか、本当に不安だったよ。でも、まだいたんだよね、自分の歌を聴いてくれる人が。手拍子して一緒に盛り上がってくれる人が。その時、私にはやっぱりこれしかない。死ぬまで歌い続けようと思ったんだよね」。当時の心境を話す彼女の表情に、その時の苦悩は微塵も感じないが、復帰後の道のりは容易ではなかったはず。今回の取材では、その辺りの苦労話を掘り起こして、いつもと違う一面を引き出すぞ!とぶつかってみたが…。
中村あゆみの名は全国に知られている。けれど、ブランクという溝は簡単には埋まらない。ましてや一人娘を育てながらの音楽活動。それはそれは大変な道のりじゃない?「そりゃ~いろいろあるけど、こうして歌って生きていけるだけで幸せじゃん」。それでもやっぱり復帰って勇気がいるでしょ?「最初はショッピングセンターの広場でミニライブをやらせてもらったり。初心に戻って1からのスタートだよね。それでも500人くらいは、すぐに集まってくれて。会場が遠くても、以前からのファンも駆けつけてくれたり。勇気をたくさんもらったな」。いつものままのポジティブな彼女はさらに続ける。「で、そのステージではいつも‘同じ空の下で頑張ろうね’と叫んでたんだ」。中村あゆみの違う一面を浮き彫りにする計画は、今回も企画だおれに終わってしまったが、今年7/23にリリースされたアルバム『1966628』に収録されている‘同じ空の下で’という曲、実は復帰時の自分を元気づけるかのように叫んでいた、その言葉から生まれた楽曲らしい。このサイパンも、彼女と同じ空の下。不景気でも前向きに頑張らなくちゃ、と元気をもらった取材と相成った。あゆみさん、ありがとね。